ユージ

伝説のショッキングピンクのユニフォーム。この頃には色あせてただの汚いピンクに(^^;)
1996年10月2日 浮間公園野球場 ビールス戦

ヒゲガミ監督

ベイスターズカラーの新ユニフォームで記念撮影。この試合で大会初勝利(だったと思う...)
/1996年3月26日 西戸山野球場 JTBファイヤーズ戦 |
軽いのりで始めよう!
1993年1992年のある日、ごく平凡な生活をおくっていたごく平凡な男ユージが、伊集院静の小説を読んでふと心に思いました「野球チームっていいな...」(彼の趣向は未だライツの謎です)。そこでチーム結成を呼びかけたのがそもそもの始まり。旗揚げを祝い居酒屋「甲州屋」に集まったのは同僚の野球好き、予想を上回る25人も集まり結成会はおおいに盛り上がりました。しかし中にはいつもの飲み会と勘違いしてた者(ユーゴ)などその参加理由も曖昧。しかも少年野球程度の経験者でさえ数人といった超ど級の素人集団だったのでした。
その夜はチーム名の話で盛り上がりました。居酒屋は神楽坂にあり神楽坂はワークエリア、そこで頭に「神楽坂」。しかしそのあとが決まりません。さまざまな名前が飛び交かいましたがどれも決め手にかき騒々しくしていた時「ライツ」と言う名が響きました。意味は「ライト(Light )感覚、軽いノリで始めよう!( by井上)」当時流行っていたサントリーモルツ野球部をイメージしたこともあり、その勢いでめでたくチーム名に決まったのでした。
軽いのりで始めたつもりが...
軽いのりとは言えそれなりの自信を持っていました。新宿区の軟式野球リーグ(注1)に登録、ピンクのユニフォームで鮮烈にデビューしました。 が! 一回戦で無惨にもコールド負け、春夏とその後も連敗。中には格下と思われる(と思った)チームにまで無様な負け方をし、まさにどん底状態。しかしここで諦めないのがライツ、というより実は負けず嫌い。発奮したメンバーは飲み屋で喧嘩することもしばしば草野球を熱く語りあいました。結局弱いならそれなりに練習をしようと前向きに努力を積み重ねることに...。夏には合宿(半分は慰安旅行)までしてメンバーの結束も高まりました。そして96年、結成3年目にして悲願の大会初勝利を掴んだのです(長かったぁ~)。その夜は神楽坂の飲み屋をピンクのユニホーム姿ではしごしました。もう「軽いのりだから...」とは誰も口にしませんでした。
注1:正式名称「新宿区民総合体育大会兼区軟式野球連盟」ライツは93年3部に登録。(99年から4部制に改正)
そして...
念願の一回戦突破を果たしたライツは新たなステップを踏み出しました。空席だった監督役にヒゲガミをたてチームの纏め役に徹してもらいユニフォームも新調、清潔感のあるベイスターズカラーの”新生ライツ”が誕生しました。しかし、そんなライツも時が経ちそれぞれのライフスタイルも変わるとメンバーの顔ぶれも少しずつかわりました。結成時の人員(約25人)も半減、幽霊部員も増えかつての盛り上がりも質が変わったのでした。それでも残ったメンバーのチームに対する思いは強く、一進一退を繰り返しながらも現在まで活動は続いています。野球大好き!白球に熱くなる(いい歳こいた)無邪気な集団 は”永遠に不滅”なのでした。
記:こいち 2001/2009年写真貼付
2011年今更ながら訂正:チーム結成1993年>1992年
新宿区リーグに登録したのは1993年ですが、甲州屋に集まったのは前年の1992年でした。
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